寄り道21 キックオフを終えて

2016.2.1
雨の日も里山三昧

先月13日(水)・20日(水)に2週連続でワークショップ
「まちの近くで里山をいかすシゴトづくり」を開催した。
企画段階では参加者の数を多くて50名程度と見込んでいたが、
1日目は70名、2日目は64名と予想より多くの方々に集まっていただき、
横浜市市民活動支援センター4階のワークショップ広場は熱気に包まれた。

今回のコラムでは、このワークショップをふりかえるとともに、
ここを起点に始める新たなプロジェクトの進め方について、
今考えていることを記しておきたい。

1.多くの、多様な参加者が集った

予想以上に多くの、そして多様な方々から関心を示してくださったことから、
このテーマには人を引き寄せる強い力があることを実感できた。
今回はチラシを刷らずに、メルマガ、ウェブサイト、SNSで広報したのだが、
なかでもfacebookの反響がとても良かった
(1.3万リーチ、1,895表示、196参加or興味あり)。

SNSを通してこの企画を知った場合、
「シゴトづくり」という言葉がフックとなり、
里山資源をいかして稼ぐヒントを得たいと思って参加された方が
少なからずいらっしゃっただろう。
もちろん、それは私たちのねらいではあったが、
そのような目的の人ばかりが集まると困るなぁとも思っていた。
なぜなら、里山で「シゴトづくり」を進めていくことには間違いないが、
話を聞いて明日から稼げるという話ではないだろうし、
短期間で成果が出るようなものでもないと考えているからである。
だから、広報文のなかで企画の趣旨を説明する際には、
これがキックオフ・イベントであることを強調した。
そして、性急に成果を求めるのではなく、
社会的なニーズに合致したテーマ=旗を高く掲げること、
さらに、そのもとに集う人たちと新しいプロジェクトを始めることに
意義を見いだしたいと強調した。

このような趣旨を事前にお伝えしていたことは効果があったように思う。
実際、NORA(あるいは私)が何か先頭を切って始めるようだから、
久しぶりに覗きに行こうか、という感じでいらっしゃった方も少なくなかった。
なかには、直接お目にかかったのが5年ぶり、10年ぶりという方もいらした。
行政職員・公共団体職員、市民活動家、コンサルタント、職人さんなど・・・、
そういう同志が、今回のテーマやそれに関連することを意識しながら、
それぞれの持ち場で着実に経験を積まれていることを確認できた。
そのうちのほとんどの方とは、SNSでつながっているのだけれど、
私たちが声を挙げたときに、わざわざ足を運んで応えてくださる方々が、
想像以上に多くいらっしゃったことは、とても喜ばしく、心強く感じた。
NORAもまた、ただのらくらと15年という歳月を重ねてきたわけではなく、
多くの仲間・同志とともに成長してきたのだと感じられた。
だから、2日目の懇親会の席で、ある参加者から
「いやー、みんな年取ったねぇ」とにこやかに言われたとき、
いつもならば嬉しくない言葉を、気持ち良く受け入れることができた。
たしかに、その通り。
だからこそ、こうして新しいことを始められるのだと思えたからである。

まとめると、SNSの宣伝効果が発揮され、
これまでつながりがなかった方々にもNORAの存在が知られ、
私たちの声を届けることができたのは収穫だった。
また、これまで付き合いのあった方々からは、
私たちが挙げた声(コール)に対して嬉しい反応(レスポンス)があり、
新しいことに取り組もむ力が湧く希望もいただけた。
まずは、これだけの多様な人びとが集まったことを素直に喜び、
次のアクションにいかしていきたい。

2.ワークショップという形式を選んだ

今回、「まちの近くで里山をいかすシゴトづくり」を始めると宣言をした。
このテーマに込めた意図については、前回のコラムで、
「まちの近くで里山を」×「里山をいかすシゴトづくり」と分解して説明した。
しかし、その後、なぜワークショップという形式を選んだのかについては、
説明が欠けていたことに気づいたので、1日目の冒頭に補足した。

私は、社会を変えようと思って活動するならば、
大きな会場を借りて偉い先生の話を聞くだけの講演会スタイルは
やめた方がいいと思っている。
それは、一般にイメージされる普及啓発のあり方かもしれないが、
ほとんどは「いい話を聞いた」というだけで、残るものは少ないと考えられる。
このようなことは、私の持論というようなものではなく、
大学教育を含め、学校教育では当然のこととして語られている。
たとえば、受動的な学びから、能動的な学び(アクティブ・ラーニング)へ。
一方通行型の知識の伝達から、参加型の学びの創出へ。
教える(ティーチング)から支える(コーチング)へ。
つまり、いかに学びの場をつくるのかが問われており、
ファシリテーターの役割が重要だと言われている。

こうした学校教育の流れは、
メディア環境の激変という社会の変化に対応するので、
おのずと社会教育・市民活動の分野にも波及していくはずである。
(しかし、相変わらず、多くの参加者を集めることが目的化している
イベントは多いように見受けられる。)
だから、今回はワークショップという形式にこだわり、
会場も机や椅子を動かしやすいところに決めた。

ただし、学校教育の場合は標準的な教材がある場合が多いのに対して、
今回のテーマには、参加者が共通して参考になるようなテキストはない。
実際に、現場で活動されてきた人びとの経験こそが共有すべき知である。
だから、各自が里山と向き合ってきたストーリーと
その物語をふりかえることで得られた経験則が共有すべき財産(コモンズ)である。
だから、1日目は経験年数の長い方々から、
2日目は今まさに新しいことに取り組んでいる若手を中心に、
合計8名の方々から話題を提供していただいた。

話題提供者の数が多すぎるという批判が出ることは承知していた。
しかし、これもキックオフ・イベントであることを理由にして、
一度に多くの実践者から、短くても直接話を聞く機会をつくるべきと考えた。
それくらい、いま話を聞くべきと私が思っている人が多かったともいえる。

3.考えたい問いを投げかけた

2日×2時間という限られた制約のなかでは、
多くの話題提供を受け止めるだけでも十分な量であろう。
ましてや、それをもとにグループワークを進めるとなると、
中途半端にならざるをえない。
このため、一つひとつのワークで実りある結果(答え)を出すことよりも、
問い方を大事にしようと考えた。
2日間にわたって問いかけたことは4つである。
(1) 「まちの近くで里山をいかすシゴトづくり」ってどう?
(2) 次回みんなで考えたいこと
(3) 里山シゴト□□のさらなる可能性をワイワイ話そう【事例から考える】
(4) 里山をいかすシゴトづくりを促すには ○○があったらいいな【手に届きそうな理想を描く】

私は、このプロジェクトを進めるにあたり、
多様な経験・力を持つ人びとを集めて関係をつくること、
PDCAサイクルを回していくための目的・目標を定めること、
具体的に収入を得られる里山シゴトをつくっていくこと、
さらに、シゴトがあちこちで生まれていくような基盤(プラットフォーム)、
仕組みをつくっていくことが必要だと思っている。
だから、そうした思いを、この順にグループワークで投げかけた。
今回は時間が少なかったので、すべてのワークが消化不良になっただろう。
しかし、私たちのプロジェクトは始まったばかりである。
この混沌のなかから、形をつくっていけばよいと思っている。

4.ふりかえりを共有しながら進める

いまはキックオフ・イベントに位置づけたワークショップを終えたばかりで、
いわば主審の笛により、ボールを蹴ったというだけである。
これから、本格的な試合=プロジェクトが始まるのだ。
時間を長くかければよいというわけではないだろうが、
何か目に見える形にするには4-5年はかかるだろうと覚悟している。

長期プロジェクトを進めるうえで重視していることは、
PDCAサイクルを回すように漸進的に目標へと向かっていくことである。
これからも、たびたびイベントを企画していくつもりだが、
その1つひとつをやりっぱなしにせず、
プロジェクト全体にフィードバックし、次回の企画にいかしたい。
さっそく、今回のワークショップでも、
グループワークで表現されたことやアンケートに回答されたことは、
加工せずにネット上で公表している。
(→ワークショップ「まちの近くで里山をいかすシゴトづくり」報告

考えるべき論点や取り組むべき課題は、
私たちだけで抱え、囲い込んではいけない。
私たちは、けっして強いわけでも、優れているわけでもないのだから、
社会的に課題を共有し、社会的に解決すべきだと考えている。

5.戦略を考えるチームをつくる

とは言え、プロジェクトをリードしていく者は必要である。
キックオフまでは、NORAのスタッフと進めてきたが、
今後はNORAとともに戦略を考え、
プロジェクトを進めてくださるチームをつくろうと計画している。

そのなかで優先すべきは、現場を持ち、
シゴトづくりをしている/目ざしている人たちである。
シゴトづくりのためには、里山をどういかすかという具体的な知恵や技が大切だし、
現場の実践と対話しない戦略づくりはうまくいかないはずである。
しかし、そうした人だけでは、力・資源(リソース)が不足している。
いわば、里山シゴトの業界を育てていくためには、
法律、金融、広告、IT、学術研究などに明るい人びとの力も必要であろう。

ただし、チームを構成するメンバーは、
所属する団体・組織の一員としてしか発言・行動できないと困る。
それでは、意志決定がスムーズに進まないからだ。
一方で、所属団体・組織のリソースをうまくいかせるような、
個人と組織人の間のグレイゾーンで動ける人が望ましいと思っている。

6.里山民主主義宣言

ワークショップでは、すぐにでも着手したい企画が挙がっていた。
たとえば、今回、話題を提供してくださった方々のフィールドに出かけ、
そこであらためて、ゆっくりと話を聞くような現場見学会。
具体的なシゴトについて、じっくりと深く話し合い、考えるワークショップ。
もっとお互いをよく知り、戦略を考えるための合宿。
里山シゴトをテーマに気軽に人が集えるカフェづくりなど、
個別のアイデアはいくらでもある。

しかし、それをバラバラにやったところで、
単発のユニークな事例として消費されるだけだろう。
今日、エコな里山に関する情報は、いくらでも探すことができる。
しかし、それは周縁部を飾るだけであり、
社会にインパクトを与えるまでにはいたっていない。
それは、里山ブームと言われていても、
そして5年前に東日本大震災と福島原発事故を経験しても、
表面上は大きく変わっていないようだ。

この間、私たちの仕事や暮らしは、乱高下を繰り返すグローバル市場と、
時々の熱狂で決まる国家との結びつきが強まることで、
ますます不安定に、不透明になりつつあるように感じられる。
しかし一方で、特に若い人たちのなかに、
現在の社会システムに根源的な疑問を感じ、
地に足をつけて確かに生きようと試みる力強さも感じることができる。
私はそうした人びとと手をつなぎ、動きを大きくしていきたいと思う。

そのために私たちは、
もっとしたたかに、多くの人びとと連帯しなければならない。
もっとゆるく、さまざまな違いを認め合い、
それを強みとする価値を創りださなければならない。
これは里山資本主義ならぬ、里山民主主義の宣言である。

SEALDsは、「民主主義ってなんだ?」と問い、
「民主主義ってこれだ」と国会前のデモで表現した。
ならば、私が思う民主主義ってなんだろうか。
それは、自分たちの手で、確かな仕事、豊かな暮らしをつくることである。
そうした仕事や暮らしを実現するために、社会をつくりなおすことである。
だから私は、里山民主主義を求める先に、
結果として、里山をいかす仕事が生まれるだろうと考えている。

(松村正治)

雨の日も里山三昧